対談

「立川吉笑 × 小林達夫(映画監督)」

高校の同級生に映画監督の小林達夫くんがいる。思えば高校のときから自前のカメラで映画を撮っていた男。一昨年、杉浦日向子の漫画を映画化した『合葬』で商業映画デビュー。こばやんの作品を新宿ピカデリーで観る日がくるとは思わなかった。オダギリジョーとか出てるし。

進学校だったから、周りの皆は良い大学に進学していくなか、やりたい道に進んで行った者同士で、久しぶりに喋ってみた。

小林達夫

監督:小林達夫

1985年京都府生まれ。2007年『少年と町』が第10回京都国際学生映画祭でグランプリを受賞。そして2015年、自身初の劇場用公開作品となる長編『合葬』が公開され、第39回モントリオール世界映画祭ワールド・コンペティション部門に正式出品される。

立川吉笑

久しぶり。

小林達夫

うん、久しぶり。

立川吉笑

最近はどうしてるん?

小林達夫

5月に短編映画撮ったで。

小林達夫

立川吉笑

お、合葬後、初?

小林達夫

いや、短編は3本くらい撮ったかなぁ。

立川吉笑

そうなんや。こばやんは今まで全部でどれくらい撮ったん?

小林達夫

長編2本、短編7本くらいかなー。

立川吉笑

よく考えたら高校卒業して15年とか経ってるけど、いま自分の立ち位置とか、どう感じてる?
高校のとき思ってたような立ち位置にいられてるのか、思ってる以上か。それとも描いていた理想にはまだまだか。

小林達夫

立ち位置とかではあんまり考えてなかったかなあ。たぶん、人羅( 吉笑の本名:人羅真樹 )もやりたいことちょっとずつ変わってると思うけど、映画って一言でいってもまったく映画に対する考え方は変わってると思うし。

立川吉笑

うんうん。
確かに俺も「面白いモノを作りたい」ってのは高校の時からずっと同じやけど、落語なんか高校生の時は聴いたこともなかったもんな。

立川吉笑

小林達夫

たとえば当時「いつかこんな映画撮りたい」って思ってた映画が、別にいま撮りたい映画ではないっていうか。

立川吉笑

ああ、そうか。理想自体も変わっていくもんな。それって、映画界が変わった?
それとも、こばやんが変わった?

小林達夫

どっちも変わったんちゃうかなあ。そもそも映画界のことを全然分かってなかったっていうのはあるけど(笑)。映画界のことは分かってない自分が、好きに作ったものをこれも映画って言えるのが面白いって思ってた。

立川吉笑

なるほどな。

小林達夫

あと、時代的に映画が音楽とかファッションとか、他のカルチャーの中心というか、接合点にあると思ってたから、映画だけを切り離して考えてなかったな。90年代後半~2000年代前半って、今だったら日本で公開されないような映画が普通に公開されてて、映画以外の雑誌の表紙で取り扱われてたりして。『21世紀/シネマX』って本に取り上げられてる時期で、勝手にシネマX系って呼んでるけど。そうゆう映画に憧れて始めた身としては、原体験として感じた映画の価値が、今の市場では減ってるし、それでも撮りたくて続けてるってことは、映画界も自分もどっちも変わったってことなんかなと。

立川吉笑

いま、昔の自分の作品観たらどう思うん?改善点とか見えてしまうん?

小林達夫

いまだったらこうは撮らないっていうのはあるけど、そのときやりたいことと、できることが違うから、改善したいとは思わへん。

立川吉笑

そんな感じなんや。

小林達夫

それより新しい映画で、今やりたいことをやりたいって感じかなぁ。

立川吉笑

『合葬』って、やっぱり俺みたいな部外者からみたら、仕事として一つの到達点みたいに見えるんやけど、(うわー、やりやがったな 、あいつ!みたいな)。自分としてどんな感じやった?

小林達夫

『合葬』は今の自分にとって出発点って感じ。原点というか。

立川吉笑

あっ、出発点なんや。

小林達夫

映画について知らなかったことをいっぱい知ったし、自分にとって本当にやりたいことに撮りながら気付いたり、逆に出来ないことも分かったし。

立川吉笑

もし言葉にできるなら、やりたいことってどんなこと?
できないことってどんなこと?

小林達夫

できないことは、技術的なこととか考え方とか、本当に一歩ずつ真面目に経験して、進んでいかないとできない表現領域はあるってこと。
やりたいことは、シネマXぽいことかな(笑)。あの時代に憧れた映画がもうなくなったって思ってたけど、海外の映画祭とか行ったら、そうゆう映画いっぱいあって、あぁ日本で見れなくなっただけなんやって。むしろ潮流として自国の90年代を問い直すってことを海外の若手監督はやり始めていると思う。昨年日本でも公開されたクロアチアの『灼熱』とかめっちゃ衝撃受けたし。

立川吉笑

へぇー。

小林達夫

『合葬』の後に撮った『After Hours』っていう短編は、急激にレコード屋がなくなっていった渋谷の街を、かつて青春を過ごしたDJがめぐる話で、これからやって行きたいことが詰まってて。90年代ってテーマは、長編でも描いていきたいなあ。

※ 7/15からのSKIPシティ国際Dシネマ映画祭 短編コンペティション部門にて上映
詳細はこちら

After Hours(© Tatsuo Kobayashi / Happy Tent)

立川吉笑

『After Hours』観に行くわ。

小林達夫

まあ今、「カセットテープ」とか「写るんです」とか、一度市場の中でなくなっていったものが、カッコええやんって理由で復活していってるのが、安易な感じも含めてすごい好きで。自分にとってはシネマXのあの時代のあの感じやけど、そうゆう原体験に固執したり、忘れたりしながら映画を撮っていければなというスタンスです。

立川吉笑

そんなに色々考えてるとは思わへんかったわ。すげーな。
最後に、高校の時で、俺について何か覚えてることある?

小林達夫

高校の頃の人羅との思い出は、プロレスのビデオを撮らされたことやんな。

プロレス

立川吉笑

あぁ、あったな(笑)。卒業式終わったあと、教室の机並べてリング作って、結構本格的に。あの映像、データ化してまだパソコンに残してあるわ。

小林達夫

あと学祭のクイズ大会?みたいなやつで、ぬいぐるみとペアで出場してたとき。何か、めっちゃ笑った記憶ある。

立川吉笑

あぁ、クイズ大会は俺も良い思い出が残ってるなあ。

小林達夫

あのぬいぐるみの声ってMD(ミニディスク)で出してたん?

立川吉笑

そうそう、MDやな。手元で操作してた(笑)。1年・2年のときはそれこそ漫才みたいなんをやったんやけど、3年の時は「漫才とかやる時点で面白くないやろ」みたいに尖ってしもてて。逆に普通のクイズ大会でネタをやる方が先鋭的や、とか思ってしもてたから。
でも、あれは受けたなぁ。吹き込んだ音を再生して熊のぬいぐるみに喋らせて、ツッコミを入れるっていうやつな。

小林達夫

あのぬいぐるみのキャラ、『テッド』先取りしてたよな。

立川吉笑

ほんまや!いま気づいた(笑)。俺は『アルフ』のつもりで作ったんやけど。

小林達夫

『アルフ』か。所ジョージのやつな。

立川吉笑

そうそう。

小林達夫

おれ『テッド』の予告みたとき人羅が10年前にやってたやつやんって思った。

立川吉笑

それは嬉しい。これは絶対載せるわ(笑)。

小林達夫

ええこと言ったな。

立川吉笑

うん。初めて気づいた。『テッド』やったんや、あれ。

小林達夫

そうやで。

立川吉笑

まあ、お互い引き続きやりたい事をやり続けられたらいいなぁと思ってるわ。

小林達夫

そうやな。ありがとうー。

立川吉笑

うん、じゃあ。

小林達夫

じゃあ、また。

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